歴史

History

ときを超えて、つながる想い

逆境のなかでの挑戦

1927~1945

1927年(昭和2年)
昭和金融恐慌

1939年(昭和14年)
第二次世界大戦開戦

1945年(昭和20年)
富山大空襲(8月1日)

逆境のなかでの挑戦

逆境のなかでの挑戦
2代目 稲垣小太郎

1927年(昭和2年)の昭和金融恐慌により、日本全国が経済的不況に陥った当時、2代目社長であった稲垣小太郎は、不況を乗り切るために、お酒の品質をさらに向上し、手ごろな価格で提供しようと奔走していました。
そんな中、灘・伏見の酒造郷を視察した際に、質の高い伏流水から生まれるお酒の味を知り、経済的に厳しい状況の中、巨額を投じて深井戸を掘削しました。
その結果、庄川の清冽な伏流水を取り入れた若鶴酒造の清酒の品質は高まり、需要はぐんぐん伸びていきました。

しかし、1939年(昭和14年)に第二次世界大戦が始まると、食糧管理法により米が統制され、酒造業界は厳しい状況に置かれます。
また、1945年(昭和20年)8月1日の富山大空襲の影響などにより、若鶴酒造でも清酒の生産高が激減しました。
そこで、稲垣小太郎が目をつけたのは、米以外の原料からアルコールを作り出す方法でした。

蒸留酒製造の研究

1947~1952

1947年(昭和22年)
若鶴醗酵研究所を設立

1949年(昭和24年)
焼酎の免許を取得(2月)

1950年(昭和25年)
雑酒の製造免許を取得

1952年(昭和27年)
ウイスキーと甘味果実酒(ポート
ワイン)の製造免許を取得(7月)

蒸留酒製造の研究

稲垣小太郎(中)と深澤重敏氏(右)
稲垣小太郎
(中)と深澤
重敏氏(右)

試験室
試験室

米以外の原料からアルコールを作り出すために技術者探しを始め、出会ったのが、満州から引き上げてきた深沢重敏氏でした。
深沢氏は、キッコーマンの工場長を務めた経験から発酵に深い知見を持っていました。そこで、深沢氏を技師として若鶴酒造へ迎え入れ、顧問に酒類総合研究所の勝目氏を加えて、1947年(昭和22年)若鶴醗酵研究所を設立しました。

最初は、統制外であった菊芋を庄川の河川敷で栽培し、アルコールを取り出すという研究から始まりました。そして1949年(昭和24年)2月には焼酎の免許を取得します。
その後、研究を進めていき、1950年(昭和25年)には雑酒の製造免許、1952年(昭和27年)7月にはウイスキーと甘味果実酒(ポートワイン)の製造免許を取得し、本格的に蒸留酒の生産に力を入れ始めました。

稲垣小太郎(中)と深澤重敏氏(右)
稲垣小太郎(中)と
深澤重敏氏(右)

試験室
試験室

若鶴ウイスキーの誕生

1953~

1953年(昭和28年)
若鶴最初のウイスキー
「サンシャインウイスキー」を発売

若鶴ウイスキーの誕生

若鶴ウイスキーの誕生
1954年年賀状

1952年(昭和27年)にウイスキーの製造免許を取得して、若鶴酒造が初めて発売したウイスキーが「サンシャインウイスキー」でした。翌年の春、富山県内だけで販売が開始された「サンシャインウイスキー」の名称は、公募により決まったもので、「戦争の中ですべてを失った日本で水と空気と太陽光線からできる蒸留酒によってふたたび日をのぼらせよう」という思いから命名されました。

サンシャインウイスキーの名付け親

故・片山忠男氏
故・片山忠男氏

1952年10月、若鶴酒造は初のウイスキー発売にあたり、地元から名称を募集しました。当時2000通余りの応募の中から選ばれた名前がこの「サンシャインウイスキー」でしたが、時代とともに命名者がわからない状態となっていました。

2018年5月14日、一通の手紙から半世紀ぶりに命名者が判明します。
命名者は片山忠男氏、富山県南砺市福光の出身です。命名者の長女の伸子様よりお手紙をいただきました。
忠男氏は、第二次世界大戦の終戦を昭南(現シンガポール)にて迎えられました。その後、2年間の抑留生活を経て復員。抑留中にイギリス兵から習った「サンシャイン」という言葉を、若鶴初のウイスキーの名前に応募されました。
「サンシャイン」という言葉には、戦後の復興と平和への思いがこめられています。

火災からの再建

1953年(昭和28年)
蒸留室から出火した火災により
約635坪を全焼(5月11日)

1953年(昭和28年)
工場の再建・再出発

火災からの再建

火災からの再建
1953年(昭和28年)5月13日北日本新聞

蒸留酒部門へ力を入れ出した矢先、1953年(昭和28年)5月11日23時50分、蒸留室から出火した火災によって、同工場、食堂、会館、研究室、寮、原料倉庫、延6棟、約635坪を全焼しました。営業の継続が心配されましたが、5月の農繁期の中、連日数百名の地域の人々が火事の後片付けを手伝ってくださり、当時、近郊に3台しかなかったトラックを、フル稼働して瓦礫を片付けにいったということです。

地域の人々の誠意と努力のおかげで、半年もかからず工場の再建に成功し、若鶴酒造は火災からの再出発を果たしました。

若鶴ウイスキー
新たな旅立ち

1954~

1954年(昭和29年)
「アロスパス式蒸留器」を導入、
創立35周年記念式典(11月5日)

若鶴ウイスキー新たな旅立ち

復興完成した蒸留塔
復興完成した蒸留塔

火災から復興してウイスキーの蒸留を再開するにあたり、当時、日本で5社しか所有していなかった「アロスパス式蒸留器」を導入しました。

そして、1954年(昭和29年)11月5日、復興完成した本社にて社員総出で、創立35周年記念式典が執り行われました。

改修プロジェクトの実現

2016~

2016年(平成28年)
「三郎丸蒸留所改修プロジェクト」
を立ち上げる。

改修プロジェクトの実現

改修プロジェクトの実現

奇跡的な復興・再開から64年余りが経過し、蒸留所も老朽化が進行。かつての蒸留塔も取り壊されて久しくなりました。
「北陸唯一の蒸留所を、そしてこれまで続いてきたウイスキー造りを途絶えさせるわけにはいかない。 」

若鶴酒造は2016年(平成28年)、「三郎丸蒸留所改修プロジェクト」を立ち上げ、資金確保のためにクラウドファンディングに挑戦しました。

60年以上守り続けてきたウイスキー造りへの情熱、そして富山のウイスキーを世界のウイスキーに育てるという挑戦を呼びかけたところ、2500万円の目標額をはるかに超える463名から3825万5000円という大きなご支援をいただきました。

富山のクラフトウイスキーを、
世界に愛されるウイスキーへ

2017~

2017年(平成29年)
北陸でただひとつの見学のできる
ウイスキー蒸留所として改修完了

富山のクラフトウイスキーを、
世界に愛されるウイスキーへ

富山のクラフトウイスキーを、世界に愛されるウイスキーへ

多くの方々からいただいたご支援で、三郎丸蒸留所は2017年(平成29年)7月北陸でただひとつの見学のできるウイスキー蒸留所として生まれ変わりました。

建物の改修はもちろん、製造施設もこれまで以上に充実。
大きな目標である「富山のクラフトウイスキーを、世界に愛されるウイスキーへ」という夢へと、若鶴酒造の挑戦は続いていきます。

マッシュタンを半世紀ぶりに更新
三宅製作所の最新型へ

2018~

2018年(平成30年)
マッシュタンを半世紀ぶりに更新

マッシュタンを半世紀ぶりに更新
三宅製作所の最新型へ

これまで使用していたものは自社で製作した約50年前のマッシュタンでしたが、2018年4月に三宅製作所製の最新型マッシュタンを導入しました。銅版には高岡銅器を使用しています。

マッシュタンを半世紀ぶりに更新、三宅製作所の最新型へ

世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」を開発

2019~

2019年(令和元年)
世界初の鋳造製蒸留器
「ZEMON」を開発

世界初の鋳造製蒸留器
「ZEMON」を開発

世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」を開発

ZEMON(ゼモン)は高岡銅器の梵鐘の技術から生まれたまったくあたらしいポットスチルです。北陸で唯一のウイスキー蒸留所である三郎丸蒸留所と梵鐘造りの名匠である老子(おいご)製作所により開発されました。

高岡銅器鋳造ポットスチル
ZEMONについて